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予感と呼ばれる現象が超常的なものでないとする理由になりそうなものはいくつかある。
例えば、いくらかの傾向を見出だすことができる場合。雨が降れば外出しない人がいるとして、今雨が降っているなら、かの人が訪ねてくることはまずない。これはシンプルな消去法にしかなっていないから、もう少し入り組んだ条件設定にしてみる。 一週間以内に雨が降り、かつ三日以内に地震があって、前日に電話で話しておらず、雨が降りそうでない程度に曇った日の午後には彼が来やすい、とか。予想する、推測できるだけの根拠がある。ただ、その根拠には根拠がない、というような。 第二の例えば。網羅的と未来予想をまき散らし、たまたま当たる場合。私の部屋に訪ねてくる人はそう多くない。変化も少ない。だから、その全員に対して「今日は来るかも」と思い、かつ「誰も来ないかも」と付け加えるだけで当たる予感の生成はおよそ完了する。宝くじを全組み合わせ買うようなものだろうか。一般に、このような買い方では大損するようになっているものだ。意味がない。 第三。そういう設定である、と認識する場合。 あの人の場合はだいたいこれだ、と私は思った。少し意識的にあの人を呼ぼうと思ったら、牛乳を買い、今ならばBGMをスガシカオにし、西尾維新でも読み耽ればいい。椅子を掃除すると成功率が少しだけ上がる。そうそう、あと大事なことは余計なものを買っておかないことだ。あの人は、自分が望まない要素があるときはここに来ないから。 このやり方はオカルト、もっと露骨に言えば召還術みたいではある。ただ、召還機能があるものなんて珍しくもなんともない。電話一本、メール一通出すのと何が違うだろう。少なくとも、あの人を呼ぶのには使えるのだから、メールするように牛乳を買ったっていい。私がしたいくつかの準備があの人に伝わっているか怪しいものだけれど、呼べるには呼べるのだから構わない。大事なのは結果なのだから。 今日は控え目なノックの音がするだろう。 …………した。聞こえた。 すばらしい。内心自分を賞賛しながら、私は玄関に立ち、ドアを開けた。 「やあ。年明け後は初めてだな。あけましておめでとう」 「おめでとうございます。あまりにも今さらですけどね」 「それでも、やって悪いということもないさ」 薄く笑みを浮かべた真瀬さんはいつもどおりあっさりした様子で言った。 それからは予定調和だ。私はカフェオレを作り、互いの前に置いた。 これで向かい合い(face to face)の完成。 机の上に置かれた『化物語』を見て、真瀬さんは目を細めた。 「なるほど。珍しいな、君のほうから俺を呼ぶなんて」 「そうですね。でも、今やらないともう遅くなりそうでしたから」 私は正直に言った。物事にはタイミングというものがある。先んじるべき言及だと思ったから、わざわざ真瀬さんを呼んだのだった。 真瀬さんは唇を舐め、息を吐いた。 「……どこから始めようか。まずは、そうだな。脈、系譜というものの存在について言う」 私は頷き、マグカップを持ち上げた。真瀬さんが言う 「いちいち具体例を挙げるのは面倒だから言い切ろう。とかく作品には文脈というものがある。その前に出た作品の影響、作品が体現するもの、あらゆるものにはストリームがあるわけだ。このストリームは多層化している。縦横無尽に走っている。それは視点を変えることで浮かび上がってくるものだ。さて、それを踏まえて……本題はスガシカオと西尾維新だな?」 「そうです」 私はうなずいた。 「君がおさらいしてくれるか。見解を聞いておきたいんでね」 真瀬さんはそう言って、指先でテーブルを叩いた。 「非常にあっさりしたものですよ。スガシカオと西尾維新は、同じ作品に自分の作品を提供しています。しかも二つも。そしてその二つは、現代日本の最大手出版社と言っていい講談社と集英社の作品です」 「『xxxHOLiC』と『DEATH NOTE』だ。どちらもよくできている【共同制作作品】だ」 「そもそも、確かにその二つの作品は似ているんです。ひとつには、個人制作ではなく、複数人の手によって描かれた漫画であるということ。二つには、日常的な世界観にオカルトな存在を呼び込んだこと」 「『DEATH NOTE』はタイトルがずばりだな。『xxxHOLiC』の中のひとつして位置付けられそうなほどだ」 「三つに、単行本に対する姿勢です。『xxxHOLiC』は小口を塗っていますし、『DEATH NOTE』は、ジャンプコミックスの中では皆無と言っていいほど例外的に、表紙に使われる紙を変えています」 「補足だ。皆無と言っていいほどの例外はもうひとつある。『HUNTER×HUNTER』4巻、鉛筆による浮き出しだ」 「……よく覚えてますね、そんなこと」 私が呆れて言うと、真瀬さんは退屈そうに笑った。 「本筋じゃないさ。一応、『DEATH NOTE』の丁重な扱われ方を補強する材料にはなるがね」 どちらも偉大な人気連載だ。私は頷いた。 「ともかく、その出版社の違う二作品に呆れるほどの共通項が出たわけです。スガシカオと西尾維新もその共通項です」 「ふむ。そこを軸にしてスガシカオと西尾維新を対比しようというわけだ。……悪くない」 真瀬さんはおもむろにマグカップを口に運び、考えるように視線を彷徨わせた。だいたい何を見たかは想像できる。真瀬さんはコンポを見て、本棚に並んでいる西尾維新の本を見たのだ。 「そうだな。まず年齢からスタートしようか。スガシカオに比して西尾維新は若い。まだ20代だろう、彼は」 「はい。デビューしてからの年月には年齢ほどの差はありませんが」 「年齢は育ち、すなわち系譜だ。西尾が1980年代の生まれであることには触れておきたいね。バブルの終焉を肌で【だけ】感じた世代だ。底冷えするような時代観は西尾作品に共通する特徴と言える。一方のスガシカオは社会人を経由してアーティストになった。西尾維新が多感な少年期を過ごしていたとき、スガシカオは社会にいた。とはいえ……このあたりの機微は我々には察しようもないな」 真瀬さんは首を振り、次いで指を振った。たっぷり五秒は間を取り、納得を待つ。聞かされた言葉に対する理解の遅延を見計らってから、真瀬さんは言った。 「彼らの世界は【ぼく】でできている」 「ああ。確かに、二人とも一人称に【ぼく】を採用することが多いですね」 スガシカオの代表作『夜空ノムコウ』、西尾維新の代表作『戯言シリーズ』を例に挙げよう。西尾には『きみとぼくの壊れた世界』という作もあるし。 「夜神月をそこに加えておいたほうがいいかもしれないな。誰だったか、【ぼく】という一人称は公的にはどうかと思う、のような言説を展開していた。この言に拠れば、作品中の【彼ら】の世界は甚だ私的なものだということになる」 その言説の主はたぶん野口悠紀夫だ。……たぶん。 真瀬さんは滔々と続けた。 「実際、スガシカオの書く歌詞も、西尾維新の描く心理も、多分に主観的でひどく偏っている。もちろんそこに夜神月も加えていいだろうね。作品中の【彼ら】は例外なく自分や何かの欠如について語る。その欠如に対する対応は作品ごとに異なるんだが、まあそれを掘り下げるのはやめよう」 ふうと息を吐いて、真瀬さんはカフェオレを口にした。そして私に「展開が早くないかい?」と尋ねた。首を傾げることで否定すると、それには苦笑が返ってくる。 「話したいことがあるとどうしても早口になる。申し訳ないが、もう少し付き合ってくれ」 私はうなずき、ついでに訊いてみた。 「スガシカオって西尾維新を読んでると思います?」 「考えにくいな。よほど暇でもない限り、まず読んでないだろうと思うが。逆はともかく」 真瀬さんは悩む様子もなく言い、くすりと笑った。 「少し話が逸れるがね。五分で聴ける曲はあるが、五分で読める小説はなかなかないんだ。五分の価値が等価なら、相対的に音楽のほうが作品を知りやすくなる。ついでに、曲を作りながら文章を読むのは無理だろうが、文章を書きながら音楽を聴くことは可能だろうからね」 「村上春樹なんかは、創作中は音楽も聴かないと言っていましたが」 「いい名前が出るね。村上春樹はスガシカオのファンだ」 真瀬さんはしたり顔でうなずいた。 「スガシカオに村上春樹がいるように、西尾維新には森博嗣がいる」 私は少し驚いて訊いた。 「村上春樹に対して森博嗣なんですか?」 「若干無理があることは承知だ。が、あながち間違ってはいないと思うよ。村上も森も講談社から出た作家だ」 「そんな共通項ですか……」 あまりにもあまりだと思い、眉根を寄せる。真瀬さんは私につられたようにやや表情を歪め、言った。 「村上と森は出た時代が違う。バックボーンも異なる。本の売れ方もだが……しかし、村上に並ぶ作家など今の日本にはいないんでね。それに、森は森で最近妙な立場を築きつつあるようだから」 「確かに、そこらの作家には真似できないものを書いてますけどね、エッセィもやりますし。しかしそれは……」 「いや、つまり、この際村上と森の類似の有無はどうでもいいんだ。それなりの、どころか一流と言ってもいい作家が後援を公言してはばからないというところが共通項なのさ。裏を返せば、それは『作家に積極的に言及される存在』ということだ」 ふむ。確かに、そう言われればそうなのかもしれない。私は少し考えてから頷いた。 「そういうことなら、まあ」 「スガシカオにしろ、西尾維新にしろ、彼らは言及されなければならない。いや、言及を誘うと言ったほうがいいかな。現に俺たちもつられている」 「んー……私たちは別にその道のプロじゃないですけど」 苦笑混じりの私の台詞を、真瀬さんはあっさりと打ち返してくる。 「それでも言いたくなるんだから大したものだ、とも言える。言及はすなわち位置付けだ。作家たちですら位置付けを行わなければならないほどに彼らは正体不明なのだよ」 正体不明。そうだろうか? 私は軽く手をあげて真瀬さんの話を遮った。 「真瀬さん。私の知人の話で恐縮ですが」 「どうぞ」 「私の知人たちは、スガシカオにしろ西尾にしろ、感応してしまうらしいんです。彼らの生み出す作品に【共感】しているようなんですが、それは位置付けが不能だということに対する反証になりませんか?」 「……それに対する回答がないでもない。というか、それは西尾が戯言シリーズで既に答えを出した通りだと思う」 真瀬さんは軽く間をおいて続けた。 「『戯言』シリーズの主人公『いーちゃん』は無為式と呼ばれる。彼は欠点だらけ、欠落だらけ、ゆえに誰もがそこに自らの欠落を見出だし、動揺するのだと。まさしくそれは【共感】じゃないか? 俺が思うに、『いーちゃん』が作品内でやっていることと、スガシカオや西尾維新が我々に仕掛けていることはまったく同じだ」 「欠落を描いて私たちに訴えかけてくる?」 「そうだ。自己否定や自己への疑念が主だね。それはときに『どこかに理想とする姿がある』という形で語られる。例えば『神になるにはどうすればいい』や、『あの頃の未来に僕らは立っているのかなぁ』、『黒アゲハ蝶になって誇らしい羽根で飛びたい』などが当てはまるわけだが」 「ですけど真瀬さん。その展開は別に、スガシカオ独自のものではないでしょう。自己否定を歌った歌なんていくらでもあるはずだと思います」 「それがそうでもない……例えばジャニーズの歌のどこに自己否定や自己への疑念がある? ハロプロは?」 「いやいやいや、そこを抜くのが既にずるいですって!」 「じゃ、数多あるロックバンドではどうだ?」 「……すぐには出てきませんけど」 私は口をつぐみ、あれこれと思い付くままに歌詞を引き、しばしののちに諦めてため息をついた。 「思いつきません」 「思い出したら言ってくれ」 くすくす笑い、真瀬さんは続けた。 「そうだな、宇多田ヒカルの『Can you keep a secret?』あたりが自己の不完全性言及としてはメジャーなところだ。理想と願望と現実がセットで出てくる典型例さ」 「宇多田ヒカルですか……」 「アプローチが似ているだろう?」 「似てますかね。近いかもしれませんけど」 私は曖昧に同意した。彼女の曲には無力さ、焦燥、強がりが欠かせない。しかしそれは等身大という言葉に繋がるものだ。スガシカオの歌詞はあまり「等身大」に興味がないように見える。 「彼らの場合のポイントは、表現が『失敗』でとどまらず、その原因にまで踏み込むことだと言えるかもしれないな。失敗の原因は自分の正体にたやすく通じるし、『どうしようもないこと』を位置付ける助けにもなる」 「失敗といえば、いーちゃんが『失敗』という言葉をキーにして語るシーンがありませんでしたっけ?」 「あったな。ずっと失敗してきた、わざと失敗するようにしているとしか思えない、というようなことを言ったはずだ」 真瀬さんはこつこつとテーブルを叩きながら、 「当然だが、人は失敗する。そして基本的に人は失敗を避け、防ごうとするものだ。だから、人は失敗を【選ばない】。だが、西尾にしろ、スガシカオにしろ、どうもその失敗をわざわざ選ぶ方向にあるようだ」 「西尾維新やスガシカオが共感を呼ぶ理由を【自己投影】だと整理しましたよね。そいでいて彼らが失敗を描くことを【選んで】いるとすると」 マグカップに口をつけ、続ける。 「失敗を手懐けたい、とか、コントロールしたい、とかの欲望を見出だすことができますね。傷つきたくないから自ら傷つく行動を取る。失敗したのではなく、自ら選んで傷ついた、だから耐えられる、という痛ましい虚勢を超えて、実際に痛みをコントロールする意地」 「妥当だろうな。少なくともスガシカオの詩に虚勢らしさを見出だすことは簡単だ。それが実際には虚勢ではないにしてもね」 「少しまとめてもいいですか? つまりは、失敗する自分を見つめ、虚勢を張ることで失敗を解決するのが彼らの手管だと」 真瀬さんは首を振った。 「解決はよくないな。俺の感覚としてはせいぜい『無視』か『丸呑み』だ。呑んでかかる、だよ。言ってしまえばアクションゲームさ。障害があり、最初はクリアできなくでも、練習したり、熟達したりすれば、いずれ通過することはできるようになる。しかし障害そのものが消えるわけでは決してないから、ふと油断したときにまたそこで死ぬ」 真瀬さんはアクションゲームについて語りながら、テーブルの端をステージの地面に、ペン先をキャラクタに見立てて、マリオ3の1‐1を再現してみせた。器用ですこと。斜め45度の角度でクリアパネルにダッシュジャンプしてみせたあと、真瀬さんはペンタグラムを書いて、続けた。 「基本的に、障害は『常にどうしようもない』のだ。多くの作家がこのことを語っている。例えば上遠野浩平」 「ぴしゃりですね。西尾維新が影響を受けた作家として挙げています」 「まあね、それは昨今のブームのようなものでもあるから……言ってしまえば、『さよなら絶望先生』もそうだ。あれはギャグ漫画だが、基本構造は似ている。『絶望した!』とレッテルを張って切り捨てることで、放置するように丸呑みするわけだ。そこには諦観も足掻きもない。ついでに解決もないから、同じ素材で何度でも絶望できる」 「いいところでその作品が出ましたね。『化物語』ですよ、真瀬さん。『さよなら絶望先生』の新房監督が『化物語』を映像化します」 「映像『化』、か。さしずめ『映像化物語』」 真瀬さんは皮肉に笑い、すぐにそれをさわやかな笑いにシフトさせた。 「『化物語』のトレーラーを見たかい? 俺は2カット目にしてフォントを晒すトレーラーなんて見たことがないよ。思わず笑ってしまった」 「やりそうなことですよ。アニメに文字を持ち込むなら、その問題は不可避です。『絶望先生』の場合は特徴的な昭和モダン体がありましたから、フォントの話は暗黙で良かったんですけどね。西尾維新の作品から字面という要素を落とすわけにはいかないですし、ああなるのは必然かと」 「フォントはアニメの作画と同様、データではなくリソースだからな。フォントとはいわば原画者か」 「私の認識ではイエスです。少なくとも『化物語』アニメ化の一スタッフ程度には原画担当者でしょう? 統一されたイメージを提供するわけですから」 「画面を構成する要素の一として捉えれば当然の帰結だ。設定表や表情集と大差ない程度に重要だね。ここでひとつ予想だ。フォントを唯一晒したことで、使用フォントを変えることによる演出が成立する。いわば変容だ。明朝体における変化なんて微々たるものだが――」 「見分けるでしょうね。熱心な視聴者なら。……話が逸れてますね」 つい熱くなってしまった。アニメとしての『化物語』はさしあたり本題ではない。真瀬さんも同意した。 「要はこういう話だろう? アニメ『化物語』『刀語』にスガシカオは起用されうるか否か」 「当然検討されるラインだとは思うんですよ。シャフトは文脈を大切にする制作会社のように見えます。西尾―スガのラインがないとはとても言えない」 「俺の予想では主題歌起用の可能性はかなり低いがね」 「実は私もです」 真瀬さんはくすくすと笑った。人差し指を立て、挑戦的な口調で言う。 「検討はされるだろうね。我々が思い付くようなことは当然やっている。しかし、スガシカオは西尾に従属はしないだろう。同時に、併存もしないだろう。まあ、そうだな。エンディングくらいはあるかもしれない」 「タイトルは『ツバサ』とか」 「ジョークが過ぎるよ」 「符合だけはばっちりだと思います」 「符合しかばっちりじゃないだろうに」 そうですね。私は誤魔化すために手を振った。 「しかし、声優でプッシュする感じでもないと思うんですよ。いっそインストゥルメンタルなんかどうです?」 「インストゥルメンタル、か。西尾維新のアニメ作品のOPに歌詞がない事態になるわけだが」 「いっそ『らしい』と思いますが……」 「知っているか? 西尾維新は一人でカラオケに行くらしい。五時間、とかな」 「へええ、そうなんですか?」 「一人で行く理由は『他人が歌っている時間が勿体ないから』だそうだ。だとすればインストゥルメンタルは惜しい」 くつくつと喉を鳴らし、真瀬さんは唇を歪める。私自身はあまり好きな表情ではないのだが、それでも真瀬さんにはよく似合う。 「西尾維新作詞、というのはどうだ?」 「彼は絶対やらないと思います」 「いや、俺はやると思う。やるとすればこの機しかない」 「うたわれるものとしての言葉を西尾維新が書きますか? それよりは、映像中のテキストを書いてくるほうがありそうです」 「いわゆる黒板ネタか? 『化物語』にはほとんど授業光景が出てこないというのに」 「いえ、だからOPの――あ」 にやりとした笑みが差し出される。誘導だったのか。私は嫌な顔をした。真瀬さんは笑った。 「なるほど……それならまあ、西尾維新作詞とは言えますね」 「そう、俺が考えているのは、OPがほぼラップ、いやいや、もっと露骨に言おう、ほとんど朗読である可能性だ。そのすべてを字面として画像として映像として構築してOPにする。解体すると気味が悪くなるように音声処理をかけ、適宜ブラーも入れる。『溯っては読めない文章』。どうだ?」 「構造としては書き手と詠み手と聴き読み手の三者になるわけですね。なるほど、いや本当に面白いと思います」 「実際にこうだったら喝采してくれるね?」 「しますします。ならないと思いますけど」 台詞の後半に、真瀬さんは呆れたような残念なような嬉しそうなような奇妙な顔をした。 「……君ね、少しはおだててくれてもいいだろう」 「おだてる前に常にいい気分になっている人を、どうやって更におだてるんです?」 「やれやれだな」 真瀬さんは肩をすくめて、 「ならば、この予想に賭けて、的中したあとに君の素直な称賛を得るとするか」 「外れたらどうします?」 それはもちろん、と彼は笑った。 「新房監督と西尾維新がもっといい作品を作ったということだから、喜べばいいさ」 「おだて甲斐がないですよね、真瀬さんって」 しみじみと呟く。 しかし、私にとっては、そんなことも面白いのだった。 「それにしても久しぶりだ」 と真瀬さんは言った。私は心底から同意した。 「本当に」 その響きは我ながら深刻だった。真瀬さんがくすくすと笑う。 「なぜか聞いてもいいかい?」 「いいですよ。有体にいって、また引越しです」 「また?」 返ってきたのは疑問だ。 「あれ、真瀬さん、私の引越しって知りませんでしたっけ?」 言いながら、私は引越しの記憶を無理やり思い起こした。真瀬さんが久しぶりに訪ねてきたのは、引越しの前だったか、後だったか。そう、確かに後だったかもしれない。私の記憶を裏付けるように、真瀬さんは首を振った。 「ふむ……いや、記憶にない。訪ね方も何も変わっていないしな」 「それは、どこに引っ越したって変わらないんですけどね。とりあえず、中身だけの引越しってやつですよ」 「意外だな。君がそんなふうに環境を変えたがるなんて」 「ええ、まあ、私じゃなくて永瀬がそうしただけのことです」 私がそう言うと、真瀬さんはまた眉根を寄せた。 「永瀬……とは誰だ」 「え」 私は言葉を詰まらせてしまう。真瀬さんは真剣な目つきで私を見据え、繰り返した。 「永瀬、初めて聞いた名前だ。君の主人なのか?」 「いえ、主人とかじゃ……ただ、その、いわば『黒幕』です」 「なっ……ちょっと待ってくれ、なんだって!?」 真瀬さんが激しく狼狽する。私はその狼狽のほうにうろたえて、思わず身を引いた。 「なんですか、急に」 「待て。待て待て。今『黒幕』と言ったか」 「言いましたよ? それが、どうか」 目をむいた真瀬さんが深く息を吸い込む。 「なんということだ。俺は愚か者か!」 真瀬さんは勢いよくテーブルを叩き、私をにらみつけた。初めて見る険しい表情が、口を開きかけた私を制止する。 「ナガレ。なぜそれを早く俺に教えなかった」 「聞かれませんでしたし」 私の言葉に、真瀬さんが息を呑む。ぎり、と奥歯を噛む音が聞こえ、その後真瀬さんは何かを我慢するように口を開いた。 「俺は誤解をしていた」 「そ、そうですか……」 完全に飛躍した話の展開に、私はついていけない。真瀬さんは一人で勝手に怒鳴り、こらえ、納得してしまっている。しかし、それを問いただすのはためらわれた。面倒なことになりそうだったからだ。 私が困っているのを知ってか、真瀬さんは低く呟く。 「……君に当り散らしたくはない。もう帰るよ」 その口調には、確かに忍耐が滲んでいる。真瀬さんに悪いことをした、と一瞬思いかけたものの、私は自分の考えを否定した。永瀬のことを話す機会がなかったのはいわば当然だ。スイと話すときだって滅多には思い出さないのだから。 私たちは黙って廊下を歩き、玄関に出た。真瀬さんは靴を履き、私を振りかえってじっと見つめた。 「…………」 「あの」 「ねえ」 発声は同時だった。手振りで真瀬さんに発言を譲ると、真瀬さんは言った。 「また来てもいいだろうか」 「もちろんですよ」 私は即答した。 真瀬さんはようやく気を取り直したようにくすりと笑うと、私から視線を逸らし、呟いた。 「悪かった」 「いえ、別に」 「今度来たときに言い訳させてくれるかい?」 「やめましょう。真瀬さんと本気の話をするのって、結構疲れるんです」 「覚えておくよ。次回来るときまではね」 真瀬さんは片手を軽く上げると、ドアノブに手をかけた。 「と、そうだ。引越し先はどこなんだい?」 「どこかそのへんだと思いますよ」 「やれやれだね」 真瀬さんはすっかりいつもの調子を取り戻した様子で言い、ドアを半分開けて身体を滑り込ませた。 私は無言で軽く会釈して、真瀬さんを見送った。 by nagare_sui | 2009-04-17 23:08 | 真瀬・ナガレ
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